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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)9301号 判決

原告 山根智恵子

右訴訟代理人弁護士 村田寿男

被告 株式会社初穂

右代表者代表取締役 豊島幹男

右訴訟代理人弁護士 若梅明

主文

1  被告は、原告に対し、金二二八万円およびこれに対する昭和五五年七月二日から支払ずみまで、年六分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを一〇分し、その七を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

4  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金八〇〇万円およびこれに対する昭和五五年七月二日から支払ずみまで、年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、不動産の売買、建築請負等を業とする会社である。

2  原告は、昭和五四年六月二三日、被告との間に次の区分建物売買契約と称する契約(以下、本件売買契約という。)を締結した。

(一) 売主 被告

(二) 買主 原告

(三) 目的物 別紙物件目録記載の土地建物(以下、本件土地、建物という。)(ただし、当時建物は未完成で、通称、初穂マンション赤坂という。)

(四) 代金額 金一、四八〇万円

(五) 手付金額 金八〇万円

(六) 建物竣工予定日 昭和五五年六月末日

(七) 履行 売買代金を支払うと同時に目的物の引渡しおよび所有権移転登記手続もしくは建物については保存登記手続をする。

3  原告は、被告に対して、右同日、前記八〇万円の手付金を支払った。

4  原告は、前記竣工予定日に、被告方において、残金一、四〇〇万円を支払いのため現実に提供して受領を求め、同時に目的物の引渡しと所有権の移転もしくは保存登記等の手続を求めたが、被告は、これをいずれも拒否した。

5  被告は、昭和五五年五月三〇日、本件土地、建物を訴外株式会社三武に対し、代金一、九五〇万円で売渡し、同会社は、同日、これを訴外長谷川浩通に対し、代金二、三三〇万円で売渡し、本件土地については、同年七月一日に、同年六月一九日付売買を原因として、中間省略の方法により、被告から訴外長谷川への所有権移転登記を了し、本件建物については、同年七月一日に、訴外長谷川名義の保存登記が了された。

6  しかして、原・被告間の本件売買契約は、被告の責に帰すべき事由により履行不能となった。

7  右履行不能の時点における本件土地、建物の交換価値は、訴外長谷川の買値である二、三三〇万円を下るものではない(訴外株式会社三武は、買値と売値との差額の利得を目的とする不動産業者であるから、当然、本件土地、建物を時価以下で買っているものであるところ、訴外長谷川は、自ら使用する目的で買っているいわゆるユーザーであるから、前記のとおり、訴外長谷川の買値を本件履行不能時の時価とみるべきものである。)。

そうすると、原告の受けた損害は、少なくとも、八〇〇万円となる。

8  よって、原告は、被告に対し、右金八〇〇万円およびこれに対する履行不能となった日の翌日である昭和五五年七月二日から支払ずみまで、商事法定利率年六分の割合による損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2  同4の事実のうち、原告主張の日に、原告代理人が被告会社を訪れ、残金一、四〇〇万円を持参したことは認めるが、その余は争う。

3  同5の事実は認める。

4  同6、7は争う。

三  被告の主張

1  本件土地、建物(以下、本件マンションともいう。)の売買契約は、原告が被告会社の社員たる地位にあることを前提として締結されたものであって、利益的取扱いを認めた契約であり、原告が被告会社の社員たる地位を失った場合には、当然解約される約束のものであった。しかるところ、原告は、昭和五四年三月五日、被告会社に入社し、マンションの販売業務に従事していたが、翌昭和五五年二月二〇日、被告会社を退社したので(これは、次に述べる事情から明らかなとおり、実質的には、懲戒解雇ともいうべきものである。すなわち、原告は、本件売買契約後、被告会社における営業成績が一向に上らないのみか、被告会社から連絡をとろうとしても所在がつかめないことが再三生ずるようになった。そこで、被告会社は、昭和五五年一〇月末頃より原告を内勤の業務課に配属し、社内業務を取扱わせることとしたが、原告の遅刻代休が増え、目に余る状態となり、再三、注意するも反省の色がみられず、昭和五五年一月に入ると正月休みが終っても出勤せず、無断欠勤を続けた。このため、被告は、原告に対し、退社を要請し、原告は、昭和五五年二月六日以降出社しなくなり、同月二〇日付で退社届を出して退社した。)、本件売買契約は、当然解約されたが、被告は、念のため、同年三月四日付内容証明郵便により、原告に対し、本件売買契約を解約する旨の意思表示をなすとともに、そのころ、手付金八〇万円を返還した。したがって、本件売買契約が有効に解約されている以上、原告に損害賠償請求権は発生しない。

ところで、本件マンション(二〇七号室)は、いわゆる目玉商品であり(他のマンションより単価が非常に安価で使用し易い。)、社員販売用とするため、当初より一般の販売はせず、被告において、社内留保していたものである。

被告としては、本件マンションを社員に販売し、これによって社員の営業意欲を切に期待していたものであり、原告も右の如き前提があることを十分承知、了承したうえで、本件マンションの売買契約を締結したものである。右の如き前提のもとになされた契約だからこそ、被告は、他のマンション購入者からは二割の手付金を受領していたが、原告との間においては一割にも満たない八〇万円の手付金で売買契約を締結し、支払方法についても、他の購入者には審査等の手続をしたが、原告には被告会社の社員であるということで無審査で売渡した。

2  仮に、前記1の主張が認められないとしても、本件売買契約は、手付金倍返しによって解除されている。

すなわち、被告が、原告に対し、昭和五五年四月頃、手付金倍返しによる契約解除の申入をなしたことにより、本件売買契約は、有効に解除された。

被告は、原告に対し、その頃よりの示談交渉において、すでに返還した手付金八〇万円とは別に、手付金倍返しの趣旨で八〇万円を受領するよう再三にわたり、口頭で申入れたが、原告は、これを拒否し、本訴の提起によって原告に受領の意思のないことが明らかとなったので、被告は、昭和五五年一〇月一五日、八〇万円を供託した。本件の如く、原告の受領拒否の態度が明らかな場合における示談交渉中の提供は、口頭の提供で十分であり、事後になされた供託も有効である(なお、被告代理人は、昭和五五年四月初旬頃より同年六月下旬頃まで、断続的に原告代理人と本件契約解除についての示談交渉を重ねてきた。)。

3  仮に、前記1、2の主張が認められないとしても、本件売買契約には、損害賠償額の予定がなされている。

本件売買契約の際作成された区分建物売買契約書の第一五条には、違約金の定め(売買代金の一割に相当する金員)があるが、これは、いわゆる損害賠償額の予定(民法四二〇条三項)であるから、原告が被告の債務不履行を理由として請求し得る損害賠償金は、契約解除をすると否とを問わず、本件売買代金の一割に相当する一四八万円のみである。

原告が被告に対し現実に支払ったのは、八〇万円のみであり、これで原告のいうような八〇〇万円の損害金を取得し得るなどということは、暴利行為である。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1の事実のうち、原告が昭和五四年三月五日から、昭和五五年二月二〇日まで被告会社の社員であったことおよび被告からその主張する内容証明郵便が届いたことは認めるが、被告主張の如き当然解約の約束があったとか、原告の社員としての成績が悪かったとの点は否認する。その余の事実は争う。

本件マンションは、発売当時、その売れゆきが悪く、被告は、しぶる原告に対して再三にわたり、値上りが期待できる有利な物件だから買っておいてはどうかと勧め、話合の末、本件売買契約が成立したのである。ところが、被告は、昭和五四年一二月頃から本件マンションに人気がでて、非常な値上りをするに至ると、原告に対し、二〇万円を上乗せするから解約に応じろと再三再四にわたって強く迫るので、女性の身である原告は、出社し難くなって、遂に退社に追い込まれたものである。

なお、被告は、原告に対し、昭和五五年三月一九日付で、本件手付金を返還するとして、八〇万円の供託をしたが、もとより、原告は、これを受領していない。

2  同2の事実は否認する。

なお、八〇万円では、本件売買代金額に比べて少額であり、証約手付といえても、解約手付とはいえない。

3  同3は争う。

被告主張の契約書第一五条(違約金の定め)が適用されるのは、契約書面上明らかなとおり、原告が同契約書第一四条により解除した場合であって、原告から解除していない本件にあっては、右第一五条の規定の適用はない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1ないし3、5の事実は、当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告代理人村田寿男は、本件売買契約上定められた建物竣工予定日である昭和五五年六月三〇日に、被告会社を訪れ、同社の管理業務次長片桐忠夫および管理課長加納信夫に対し、本件マンション(二〇七号室)の残代金一、四〇〇万円を支払のため現実に提供したうえで、本件マンションの引渡と所有権移転登記手続をするよう求めたが、同人らは、本件売買契約に関する問題については、被告代理人若梅明に委任してあるので、同代理人と交渉されたいといって、原告代理人の右申入れを拒否し、残代金一、四〇〇万円の受領をしなかったことが認められる(右事実のうち、原告代理人が前記日時に被告会社を訪れ、一、四〇〇万円を持参した事実は、当事者間に争いがない。)。

右の事実によれば、本件売買契約は、被告の責に帰すべき事由により、昭和五五年七月一日、履行不能となったというべきである。

二  そこで、次に、被告の主張について検討する。

(一)  被告の主張1について

被告は、本件売買契約は、原告が被告会社の社員たることを前提として締結されたもので、原告が被告会社の社員たる地位を失った場合には、当然解約される約束があった旨主張するところ、《証拠省略》中には右主張に添う部分があるが、これはにわかに採用し難く、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

もっとも、《証拠省略》によれば、本件マンション(二〇七号室)は、同一棟の他のマンションと比較して単価が安く(他のマンションの平均坪単価は約二五〇万円であるのに対し、本件マンションの坪単価は一九七万円である。)、被告は、これを目玉商品として、当初、一般販売の対象とせず、社内に留保していたこと、被告は、本件マンションを被告会社の社員か同社と非常に関係の深い大事な顧客に販売したいと思っていたこと、原告は、昭和五四年三月五日から翌昭和五五年二月二〇日まで被告会社の社員であったこと(原告が右の期間中被告会社の社員であった事実は、当事者間に争いがない。)、被告がマンションを販売する場合、通常、三ヶ月以内に、手付金と中間金を併せて代金の約二〇パーセントに相当する金額を買主に支払わせる旨の契約をするが、本件においては、被告は、売買代金の一割にも満たない手付金八〇万円(売買代金の五・四パーセント)しか原告から受領していないことが認められ、右事実によれば、原告は、割安な物件(本件マンション)につき、有利な条件で契約(本件売買契約)を締結したものといえ、被告会社の社員であることにより有利な取扱を受けたものといえないではないが、だからといって、被告の主張する如き約束があったとまでは認められない。

そうとすれば、前記約束の存在を前提とする被告の主張1は、理由がないといわなければならない。

(二)  被告の主張2について

手付金倍返しによる契約の解除をするには、手付金の倍額を現実に相手方に提供したうえでしなければならないというべきものであるところ、被告が原告に対し、原告において、本件売買契約の履行に着手する前に、手付金の倍額を現実に提供したとのことを認めるに足りる証拠はないので、被告の主張2も採るを得ない。

(三)  被告の主張3について

《証拠省略》によれば、本件売買契約の際作成された区分建物売買契約書の第一四条には、「甲(被告)、乙(原告)の何れたるを問わず当事者の一方が本契約の条項に違背したときは、各々其の違約したる相手方に対し、催告の後本契約を解除することができる。」との定めがあり、 同第一五条において、「①前条による契約の解除が甲の義務不履行に基づくときは、甲は、既に受領済の金員、並びに違約金として第一条に定める売買代金の一割に相当する金員を乙に支払うものとする。②乙の義務不履行に基づくときは、乙は違約金として第一条に定める売買代金の一割に相当する金員を甲に支払うものとする。」との違約金の定めがあることが認められるところ、右違約金の定めは、特段の反証のない本件においては、賠償額の予定と推定すべきものである(民法四二〇条三項)。

原告は、原告において、右契約書第一四条による契約解除をしていない本件においては、同第一五条の適用はないと主張するので、次に検討する。

《証拠省略》によれば、原告は、昭和五四年三月五日、営業社員として被告会社に入社し、販売に従事していたが、社外での所在がつかめないことが多く、営業成績が不良であったので、昭和五四年一〇月頃から業務関係の仕事に配置替になったこと、その後も遅刻が多く、上司の注意もあまりきかず、勤務成績も不良で、昭和五五年一、二月頃は欠勤も多くなり、上司からの厳重注意もあって居ずらくなったのか、原告は、同年二月二〇日、退社届を出して被告会社を退社したこと、被告は、昭和五五年三月四日付内容証明郵便で原告に対し、「原告が被告会社の社員でなくなったことにより本件売買契約はその前提を欠くに至ったので解除する。」旨の通知をしたこと、右通知につき、原告は、「解除は無効であり、原告は契約の履行を求める。」旨の昭和五五年四月一日付内容証明郵便を被告に対し出したが、被告は、昭和五五年五月三〇日、訴外株式会社三武に対し、本件マンションを売渡したことが認められ(右事実のうち、原告が昭和五四年三月五日、被告会社に入社し、昭和五五年二月二〇日、退社したこと、被告が原告に対し昭和五五年三月四日付内容証明郵便を出したこと、被告が昭和五五年五月三〇日、訴外株式会社三武に対し、本件マンションを売渡したことは、当事者間に争いがない。)(る。)《証拠判断省略》

そこで、検討するのに、本件売買契約の締結は、原告が被告会社の社員であることによる有利な取扱の一つであるといえないではないこと、原告の被告会社内における勤務成績、原告が被告会社を退社するに至った経緯、被告が訴外株式会社三武に対し本件マンションを売渡したのは、原告の退社後で、かつ、原告に対し、契約解除の通知を出した後のことであること等の諸事情を勘案すれば、被告が原告との間の本件売買契約の解消を企図したことも無理からぬところがないとはいえず、被告が訴外株式会社三武に本件マンションを売却したことにより、原告に対する関係で履行不能となった本件の場合においても、前記契約書第一五条の違約金の定めを準用するのが信義則にかなうものというべきである。したがって、同第一五条の適用はないとする原告の前記主張は採るを得ない。

そうとすれば、被告は、原告に対し、原告から受領した手付金八〇万円と売買代金の一割に相当する予定損害賠償金一四八万円との合計金二二八万円の支払義務があるというべきであって(なお、被告は、原告に対し、手付金八〇万円を返還したと主張するところ、《証拠省略》によれば、被告において、昭和五五年三月一九日、東京法務局に手付金八〇万円を供託した事実が認められるが、前記のとおり被告の主張1が認められないので、右主張を前提とする右の供託も有効とはいえない。したがって、被告の前記主張は理由がない。)、原告のその余の請求部分は、その余の点につき判断するまでもなく失当であるといわざるを得ない。

三  以上によれば、原告の本訴請求は、被告に対し、前記金二二八万円およびこれに対する本件履行不能の日の翌日である昭和五五年七月二日から支払ずみまで、商事法定利率年六分の割合による損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言について、同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中田昭孝)

〈以下省略〉

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